イチロー選手が松坂大輔投手に苦言を呈したことがあるのをご存知でしょうか?
イチロー選手といえば、フロリダマーリンズが来期契約のオプションを行使しないと発表がありました。
2001年のメジャーデビューからずっと第一線で活躍したイチロー選手の去就は気になりますよね?
そして福岡ソフトバンクホークスも、11月5日に松坂大輔投手の退団を発表しました。
松坂大輔投手といえば高校生の時から「平成の怪物」と言われ、プロ野球、メジャーリーグ、そしてWBCでも2回連続MVPを獲得した平成を代表する投手です。
今回はイチロー選手が松坂大輔投手に苦言を呈した内容、そしてその真相に迫りたいと思います。
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イチローと松坂大輔の対極な高校時代

イチロー選手と松坂大輔投手。
この二人の高校時代はというと、ご存知のように松坂大輔投手は常に同世代では注目の的でしたが、イチロー選手はというと甲子園でチームが目立った成績を残せなかったので、大きく注目されることはありませんでした。
二人はどんな高校時代だったのでしょうか?
イチロー選手
松坂大輔投手に比べるとイチロー選手の高校時代は華やかとは言い難いです。
工藤選手や山崎武司選手など多くのプロ野球選手を輩出する名門校、愛工大名電高校に入学し甲子園には2度出場したもののいずれも初戦敗退。
チームとして聖地甲子園で結果を出すことはできませんでした。
しかし個人成績で言うとイチロー選手の高校通算成績は凄まじく、
536打数 269安打 打率.501 本塁打19本 盗塁131
と、かなり群を抜いていました。
そんなイチロー選手を要しても、甲子園で勝ち抜くのは物凄くハードルが高いのがわかりますね。
松坂大輔投手
一方、松坂大輔投手の高校時代は華々しく後世に語り継がれるといえます。
愛甲選手や、鈴木尚典選手らを輩出した名門横浜高校に入学し、わずか高校2年生でエースを託され、神奈川県大会準決勝でまさかのサヨナラ暴投…
しかしこれが松坂大輔投手の唯一の1敗となります。
以降は公式戦44戦無敗という現在でも破られていない大記録の達成、史上唯一の神宮大会優勝、春センバツ優勝、夏全国優勝、国体優勝の四冠達成など全ての栄冠を手にしています。
チームだけではなく高校通算成績も凄まじく、
59登板 防御率1.12 40勝1敗 379回 423奪三振 奪三振率10.04
と、まさに「平成の怪物」の異名に相応しい成績を残し一躍スターダムにのし上がりました。
プロ入り後のNPB時代の二人は?
二人とも高卒でプロへの道に進みましたが、鳴り物入りでプロ野球の世界に飛び込んだ松坂大輔投手と、ドラフト4位でプロ入りしたイチロー選手。
やはり甲子園での活躍はドラフトに大きく影響します。
プロ入り後の二人はどのような歩みだったのでしょうか?
イチロー選手
イチロー選手は92年にオリックスブルーウェーブ(当時)からドラフト4位指名を受け入団しました。
2年目までは1軍に定着できませんでしたが、日本プロ野球新記録となる69試合連続出塁や、日本プロ野球史上初となるシーズン200本安打を達成すると、メジャーリーグへ行くまで7年連続で首位打者を獲得するなど、一気にスーパースターにのし上がりました。
仰木監督の存在が大きいと言われています。
仰木監督なくして今のイチロー選手はないと言えますね。
<渡米前NPB成績>
3619打数 1278安打 打率.353 118本塁打 529打点 199盗塁
松坂大輔投手
松坂大輔投手は98年に3球団競合の末、西武ライオンズ1位で指名を受け入団しました。
初登板でいきなり155kmを出すなど「平成の怪物」に相応しいピッチングをし、世間に名実ともにスターだと示しました。
1年目のトピックとしてはやはりイチロー選手との初対決でしょう。
前述の通り国内で敵無しだったイチロー選手を相手に、3打席連続三振と完璧に抑えました。
対戦後松坂大輔投手はインタビューで言った、
「今まで自信が持てなかった。でも、今日で自信が確信に変わった」
はあまりにも有名ですよね。
誰しもが新たなスーパースターの登場と認知した瞬間ではないでしょうか?
その後も活躍をし続け、渡米前までに108勝するなど200勝は間違いないと誰もが思ったことでしょう。
<渡米前NPB成績>
204登板 防御率2.95 108勝 60敗 1S 1402.2投球回 1355奪三振 奪三振率8.70
メジャーリーグ挑戦へ!
二人とも「メジャーリーグでどこまで通用するか」が大変注目され、イチロー選手も松坂大輔投手もポスティングシステムを利用してメジャーリーグに移籍しました。
メジャーリーグでも二人は華やかな活躍を見せます。
イチロー選手

2000年に日本人で初めてポスティングシステムを利用し、およそ1312万ドルを入札したシアトルマリナーズと契約を結び、日本人野手初のメジャーリーガーになりました。
するとデビュー年からいきなり242安打と新人最多安打を記録し、新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞とタイトルを総なめにし、メジャーリーグで通用するか懐疑的だった日米メディア陣を実力で黙らせてきました。
それまでホームランが重視されていましたが、日本が生んだ安打製造機がメジャーリーグに一石を投じたと言われるくらい評価されました。
以降はご存知の通り、2004年にアンタッチャブルレコードとされていたジョージ・シスラーの安打記録を塗り替えシーズン最多安打記録を樹立。
10年連続でオールスター、ゴールドグラブ賞、200本安打を達成するなど、メジャーリーグでもスーパースターという地位を確立しています。
<メジャー通算成績>
9885打数 3080安打 打率.312 117本塁打 780打点 509盗塁
松坂大輔投手

松坂大輔投手も2006年にポスティングシステムを利用し、当時最高額となるおよそお5111万ドルを入札したボストン・レッドソックスと契約を結びました。
そしてデビュー年は前半戦だけで18先発で10勝6敗、防御率3.84と期待通りの働きをみせたかに見えましたが、後半戦は14先発で5勝6敗、防御率5.19と失速しました。
しかしデビュー年で15勝、そして200奪三振を達成し、日本人初のワールドシリーズで勝ち投手になりチームもワールドシリーズ優勝を果たしています。
現時点でもワールドシリーズで勝利した日本人は、松坂大輔投手のみです。
2年目は残念ながらチームは地区シリーズで敗退したものの、松坂大輔投手の成績は29先発で18勝3敗、防御率2.90と好成績を残したかに見えました。
しかし成績とは裏腹に、現地からの評価は辛辣なものでした。
投球回数は167.2回で、18勝以上を上げた先発投手としては最小の投球回数に加え、QS率は48%。
1イニングあたりの投球数はワースト2位、与四球率はワースト1位と散々な内容でした。
当時チームのリリーフ陣はパベルボンをはじめ好調だったため、18勝は実力を表していたとは言い難いという評価でした。
3年目以降は怪我に苦しみ、本来のピッチングが出来ない状況が続き、2014年にFAになり同年福岡ソフトバンクホークスに入団しました。
<メジャー通算成績>
158登板 防御率4.45 56勝 43敗 1S 790.1投球回 720奪三振 奪三振率8.20
2006年、2009年にはWBCで共闘!

二人は2006年と2009年のWBC(ワールドベースボールクラシック)でともに「侍JAPAN」の一員として、2連覇に貢献しました。
2006年(第1回大会)
野球の世界一決定戦WBC(ワールドベースボールクラシック)の第一回大会にイチロー選手、松坂大輔投手ともに選出されました。
日本は韓国に2敗、アメリカに1敗するも決勝戦に進出し、アマチュア最強のキューバと対決しました。
その決勝の先発で松坂大輔投手は登板し優勝。
MVP、ベストナインにも選ばれ貢献しました。
イチロー選手もこの大会で12安打するなど、2人してベストナインに選ばれ、投打の要としての存在感を示した大会となりました。
<第一回WBC成績>
イチロー選手
40打席 12安打 打率.364 1本 5打点
松坂大輔投手
3登板 3勝0敗 防御率1.38
2009年(第2回大会)
第二回大会にもイチロー選手、松坂大輔投手ともに選出されました。
日本はなんと5回韓国と対戦する事ことになり、同一試合の多さが同大会の問題点として挙げられました。
日本は第一回に続き優勝し、松坂大輔投手は2大会連続MVPに輝き大舞台での強さを発揮しました。
イチロー選手は大会序盤から全く安打が出ず、全不調の状態が続きましたが、決勝の韓国戦で、6打数4安打、延長10回決勝の2点タイムリーヒットを打ち、日本の連覇に大きく貢献しました。
<第二回WBC成績>
イチロー選手
44打席 12安打 打率.273 0本 5打点
松坂大輔投手
3登板 3勝0敗 防御率2.45
イチローが松坂大輔に苦言を呈する!

苦言の内容
2006年の第一回WBC直前の合宿で、イチロー選手が松坂大輔投手に苦言を呈しました。
やり取りは次の通り。
イチロー選手「お前こんな練習なんてって、なめているだろ」
松坂大輔投手「なめてないですよ」
イチロー選手「いや、深いところでなめているんだよ、お前は」
松坂大輔投手「…」
当時の映像を見ると、イチロー選手が真顔なのがわかります。
松坂大輔投手も最初の方は冗談と思って笑っているようにみえますが、次第に青ざめていくように見えました。
イチロー選手は当時プロ野球界のスターであった松坂大輔投手になぜそのような言葉を放ったのでしょうか?
真相に迫っていきましょう。
イチロー選手が苦言を呈した真相とは?
苦言を呈したとはいえ、不仲だから松坂大輔投手に苦言を呈したということではなく、イチロー選手は松坂大輔投手のことを認めています。
初対決で3連続三振を喫した際は、
「久しぶりに勝負以外でも楽しむことができた」
と悔しがるどころか、ライバルの出現を喜んでいるように思えます。
そして海へ渡っても、松坂大輔投手のことを「唯一の同志」とも言っています。
「アイツ(松坂大輔投手)が背負っているものは何か人と違うものがある。
(中略)なかなか同志という存在はいないんだけど、大輔はそういう意味で唯一の存在かもしれない……
僕にとってはね」
松坂大輔投手を認めているからこそ、イチロー選手は慢心に見えた松坂大輔投手にあえて厳しく苦言を呈したというのが真相と言えます。
野球に真摯でストイックで結果を残しているイチロー選手だからこそ、いやイチロー選手じゃないと言えないひと言だったのかもしれませんね。
そして、松坂大輔投手もイチロー選手を心から尊敬していることがわかるコメントがあります。
2014年松坂大輔投手がニューヨークメッツ、イチロー選手がニューヨークヤンキースに在籍している時のコメントです。
「イチローさんにとっては何気ない言葉、ひとことなのかもしれませんけど、僕にとってはそのひとつひとつが 重く響くんです。
そういう話のできる人はいませんし、イチローさんは僕にとっては特別な存在。」
初対決から早18年。
天才(イチロー選手)と怪物(松坂大輔投手)は、当時からずっと深い絆で繋がっているのかもしれませんね。
イチローが松坂大輔に苦言!その真相とは?まとめ

イチロー選手の松坂大輔投手に対する苦言についてでしたが、いかがだったでしょうか?
あのイチロー選手が「唯一の同志」と認めるからこそのひと言でしたね。
平成を代表する野球選手として、後世に語り継がれる事が間違いない二人。
そんな二人が、いま新たな岐路に立たされています。
野球ファンとしては来シーズンもどこかでプレーしていて欲しいですよね?
そしていつかまた二人の対決を観たいと思う野球ファンも多いのではないでしょうか?
オフシーズンはイチロー選手、松坂大輔投手の去就に注目です!
最後までごらんいただきありがとうございました。
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