オリックスでリリーバー(後にクローザー)として活躍し、WBC日本代表にも選ばれた平野佳寿投手が、メジャーリーグのアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約をしました。
平野佳寿投手は日本を代表するクローザーですが、ダイヤモンドバックスでも役割はクローザーになるのでしょうか?
今回はダイヤモンドバックスでの活躍が期待される平野佳寿投手に迫ります。
スポンサーリンク
平野佳寿投手のプロフィール

まずは平野佳寿投手のプロフィールや彼の投球の特徴、経歴についてまとめます。
基本情報
名前 :平野佳寿(ひらの よしひさ)
出身地 :京都府宇治市
生年月日 :1984年3月8日(33歳)
身長 :約185.4cm
体重 :約83.9kg
利き腕 :右投げ・右打ち
ポジション:投手
プロ入り :2005年希望入団枠
初出場 :2006年3月26日
投手としての特徴
平野佳寿投手は、スリークウォーターから平均球速148キロ、最速156キロのストレートに加え、変化球は主にスライダー・カーブ・フォークを投げます。
彼のピッチングスタイルの特徴として、力のあるストレートに加え、キレ味鋭く落差の大きいフォークで沢山の三振を奪います。
三振が多い上に四球も少なく、投手の制球力を示す指標の1つであるK/BB(奪三振÷与四球)では、2010年3.60、2011年5.82、2012年16.00、2013年5.07となっており、リリーフ転向後はコンスタントに一つ四球を出す間に三振を5個以上取っていたという数字が出ています。
平野佳寿投手は、連投やイニングまたぎも苦にならない程の体力も兼ね備えており、三振以外のアウトはゴロが多いことも特徴です。
まさにクローザー向きの特徴を兼ね備えていますね!
こういった特徴が、33歳という年齢でもメジャーリーグからスカウトが来る大きな要因となっているのではないでしょうか?
これまでの経歴
ここでは平野佳寿投手のオリックス入りするまでの学生時代の経歴と、オリックス入りしてからの実績を紹介します。
オリックス入りまで
小学校時代
平野佳寿投手は、小学3年生の時に軟式少年野球チームの「小倉リトルズ」で野球を始めました。
最初は捕手兼内野手としてプレーしています。
中学校時代
中学時代は宇治市立北宇治中学校の軟式野球部に所属し、投手に転向しました。
高校時代
高校では京都府立鳥羽高校に入学し、在学中に春夏合わせて3回の甲子園に出場するも、腰痛の影響もあり2番手投手としての出場となりました(選手権大会ではベンチ入りも外れる)。
大学時代
大学は関西六大学連盟に加入している京都産業大学に進学しました。
小中高とあまり日の出を見ることなくプレーしていましたが、大学2年生の時についに才能が開花しました。
大学通算56試合に登板し、36勝11敗、防御率1.33、404奪三振。最優秀選手2回、最優秀投手4回、ベストナイン4回受賞。36勝、404奪三振のリーグ新記録を樹立。
関西運動記者クラブによる第49回(平成17年度)関西スポーツ賞(個人の部)に選出され、当時大学ナンバーワン投手と言われました。
オリックスでの実績

平野佳寿投手は、大学時代の活躍により、2005年のドラフト会議でオリックス・バファローズに希望枠で入団しました。
入団会見時に「一軍の公式戦で二桁勝利を上げて新人王を取りたい」と話しており、開幕カード2戦目に救援としてデビューするという華々しいスタートとなりました。
しかし、平野佳寿投手のプロ野球選手生活のスタートは、決して順風満帆とは言えませんでした。
実績を残せなかった先発時代(2006年~2009年)
2006年(年俸:1500万円)
3月にデビューすると、3月30日の初先発でいきなり初先発初勝利を記録。
その後も順調に活躍を続け、同年のオールスターゲームにも選ばれました。
しかし、後半戦はわずか1勝しか出来ずこの年は7勝11敗という成績で終わっています。
2007年(年俸:2700万円)
2完封を含む8勝を上げるも、リーグワーストの13敗を記録。
また本塁打を打たれた数もリーグワースト2位の18本塁打となっています。
2008年(年俸:4800万円)
開幕前に右肘痛が発症し、検査で遊離軟骨(骨の断片が肘に入っている状態)であることが判明したため、3月27日に遊離軟骨の除去手術を受けました。
結局この年はリハビリの年となり、シーズンを通してマウンドに立つことはありませんでした。
2009年(年俸:3800万円)
右肘の怪我から復帰し、開幕からローテーション入りをしましたが、4月11日に逆流性食道炎を発症し登録抹消されました。
5月24日に一軍に復帰するも、その後は振るわず3勝12敗防御率4.72という成績で終わっています。
リリーバーに転向、才能開花(2010年~2017年)
先発では調子にムラっ気があり、シーズンを通して安定した結果を残せなかった平野佳寿投手。
しかし、2010年にリリーバーに転向すると、そこから突出した成績を残します。
2010年(年俸:4200万円)
先発から中継ぎに転向すると、一軍公式戦63試合に登板し、防御率1.67、39ホールドポイントという好成績を残しました。
パ・リーグの救援投手では最も多い101三振を奪ってパ・リーグの監督推薦選手として、同年のオールスターゲームへ4年振りの出場を果たしました。
2011年(年俸:7200万円)
一軍公式戦でパ・リーグの投手で最も多い72試合に登板し、前年とほぼ同じ投球回数(83.2回)で99三振を奪ったほか、セットアッパーとして43ホールド・49ホールドポイント(いずれもリーグ新記録)をあげました。
この実績は評価され、最優優秀中継ぎのタイトルを獲得し、パ・リーグの特別表彰も合わせて受賞しました。
また、同年のオールスターゲームにも、パ・リーグの監督推薦選手として2年連続で出場しています。
2012年(年俸:1億2千万円)
パ・リーグ3位の70試合に登板しチーム2位の7勝、防御率2.15をあげました。
シーズン終盤に抑えへ転向すると、9セーブを記録。
また、投球回数79.2回で80三振を奪ったことから、3年連続で投球回数を上回る奪三振数を記録しました。
2013年(年俸:1億5千万円)
この年からクローザーに定着しました。
60試合に登板し、2勝5敗で自身4シーズン振りの負け越しとなったものの、パ・リーグ2位の31セーブを記録し、合わせて9ホールドをあげています。
2014年(年俸:1億9千万円)
62試合に登板すると、当時のパ・リーグ新記録となるシーズン40セーブを記録し、1勝6敗ながら最多セーブのタイトルを初めて獲得しました。
2015年(年俸:3億円)
救援失敗が相次いだ影響で、プロ入り後初めての未勝利でシーズンを終了しました。
また、シーズン中に中継ぎへの再転向や二軍調整も経験したため、一軍公式戦では33試合の登板で、3敗12セーブ10ホールド、防御率4.06という成績に留まりました。
2016年(年俸:3億円)
前年の不調に加え、球団が抑え候補としてエリック・コーディエを獲得したことから、セットアッパーとして開幕を迎えました。
しかし、コーディエに救援の失敗が相次いだことにより、5月以降は抑えへ復帰。
通算58試合の登板でリーグ2位の31セーブと防御率1点台(1.92)でシーズンを終えました。
2017年(年俸:3億円)
開幕前の1月24日にWBCの日本代表に選出され、日本のベスト4に大きく貢献し、この時のピッチングでメジャーリーグの評価を不動のものとしました。
シーズンでは開幕から抑えに起用され、8月27日にシーズン23個目のセーブをあげたことによって、NPB史上13人目の一軍公式戦通算150セーブを達成しました。
シーズンの成績では、前年に続いて58試合へ登板。3勝7敗と大きく負け越しながら、セーブ数を29まで伸ばして防御率2.67でシーズンを終えました。
オリックスで獲得した主なタイトル
- 最優秀中継(2011年)
- 最多セーブ(2014年)
- パ・リーグ特別表彰(2011年・2014年)
- 日本通算150セーブ
- 月間セーブ:11(2014年3~4月)
- シーズンセーブ:40(2014年)
- オールスター出場(5回)
メジャーリーグに挑戦へ!

平野佳寿投手は3年契約を終えた2017年のシーズンオフに、海外FA権を行使して12年間在籍したオリックスを離れることを決意します。
そして2017年12月22日、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとの2年契約を結んだことが発表されました。
ダイヤモンドバックスとの契約内容
契約期間:2年契約
年俸 :300万ドル(約3億4千万円)
出来高 :100万ドル(約1億1千3百万円)
ダイヤモンドバックスGMのコメントや期待、反応
ダイヤモンドバックスのGMであるマイク・ヘイゼンは、平野佳寿投手の入団が決まると、
「我々は長年にわたりオリックス・バファローズ所属のヨシヒサをスカウトしてきました。我がブルペン陣に、彼のように質が高く経験あるリリーバーが加わることに、大きな喜びを感じています。ヒラノ投手ご夫婦、そして2人の小さなお子さんをアリゾナに迎えることを楽しみにしています」
と喜びのコメントを残し、さらに、
「彼は主にファストボールとスプリットを駆使する。ファストボールは90マイル台前半、素晴らしいスプリット・フィンガー・ファストボールを持っており、カーブも投げる。3球種を織り交ぜるが、主な特徴はファストボールとスプリットだ。ストライクを投げる能力は良い。クローザーを任せるだけのボールを持っている」
と話しており、勝利の方程式を担う7・8・9回で使う構想があることに加え、クローザー候補としても期待を寄せる程高い評価をしています。
ダイヤモンドバックスの救援事情
2017年は39セーブを挙げた右腕ロドニーを始め、10ホールド以上が5人と層が厚い救援陣となっていました。
しかし、オフにロドニーがツインズにFA移籍したことで、現状では63試合に登板し防御率1.73、チーム最多の25ホールドのブラッドリーが抑え候補の筆頭です。
他には2015年に41セーブを挙げたものの、2年連続セーブ0のボックスバーガーが続きます。
平野佳寿投手は絶対的なクローザーがいなくなるタイミングでの入団となるので、スプリングトレーニングの内容次第では、十分クローザー抜擢のチャンスがあるはずです!
平野佳寿投手はメジャーリーグで通用する?
あくまでも、個人的な意見ですが、平野佳寿投手はメジャーでも十分に通用すると考えています。
上の特徴でも書きましたが、平野佳寿投手の武器は150キロを越えるストレートと、落差の大きいフォークです。
過去を見てみると、力強いストレートとフォークを武器に成功を収めた日本人投手が三人います。
- 野茂英雄
- 佐々木主浩
- 上原浩治
です。
三人とも、強打者が並ぶメジャー打線に対して主にストレートとフォークの2種類の球種だけで挑んでおり、メジャーリーガーをキリキリ舞いにさせてきました。
なぜ、2種類の球種だけで強打者を抑えられるかと言うと、実はメジャーリーガーは縦の変化に弱いと言われているからなんです。
一般的にメジャーリーガーは、腕が長い上に、バットを振るスピードも日本人と比べると比較にならない位速いので、スライダーなどの横の変化には例え予想していない配球だったとしても、腕を伸ばせば届いてしまうので、ボールをカットすることが出来ます。
つまり、配球が読みどおりであれば打たれますし、予想を外れてもカット出来るため、永いイニングを投げたり登板を繰り返すうちに横の変化球タイプのピッチャーはアジャストされやすくなるという傾向が出ています。
一方、何故フォークボールなどの縦の変化球に対してメジャーリーガーが弱いのかというと、理由は大きく分けると2つあります。
一つは、アメリカにはフォークを投げる投手が少なく、フォークを打つ練習があまり出来ないからです。
フォークを投げる投手が少ない理由としては、フォークボールは肘への負担が大きい球種と言われており、故障の原因となるからです。
メジャーリーガーは野球をビジネスと見る人が多いので、あえて故障しやすくなる球種を投げるメリットを感じていないのかもしれません。
もう一つは、スイングをする時のバットの軌道の問題です。
ダウンスイングだろうが、アッパースイングだろうが、レベルスイングだろうが、物理的にバットは横の軌道になります。
横の軌道で回るバットに対して、スライダーなどの横の変化球はボールとバットが接触する接点が多く、たとえタイミングが外れても、パワーのあるメジャーリーガーであれば、とにかくバットに当たればチャンスはありますが、フォークのような縦に落ちる変化球に対してはバットとボールの接点は少なく、タイミングが外れれば、ほぼノーチャンスです。
接点が小さければ、いくら腕が長くても、スイングスピードが速く、パワーがあっても意味がないですよね?
主にこの二つの理由で、メジャーリーガーにフォークは通用するといわれています。
平野佳寿投手も素晴らしいフォークを投げるので、過去の日本人選手の成功事例と同じように、メジャーでも日本と同じ、若しくは日本にいたとき以上の活躍が期待できるのではないでしょうか?
唯一問題点となる、メジャーリーグの公式球への対応、つまりコントロールの問題に関しても、メジャー公式球に近いと言われていたWBCの公式球で対応力の高さを見せたので、個人的には問題ないかと思います。
平野佳寿はダイヤモンドバックスでもクローザー?まとめ

ここまで、平野佳寿投手についての経歴と特徴、メジャーリーグで通用する可能性についてお届けしましたが、いかがでしたでしょうか?
同じ日本人として、平野佳寿投手には是非メジャーリーグでも良いピッチングをして、日本人の投手力の高さを証明して欲しいです。
ダイヤモンドバックスには、メジャーを代表するような選手もおり、優勝できる力を持ったチームですので、その中でも目立った活躍をして勝利に貢献出来ることを祈っています。
「日本通」のロブロ監督の采配にも注目ですね!
【関連記事】
コメントを残す